30年ほど前、区役所が移転するのをきっかけに、大倉山記念館の建築様式に着想を得て、現在のような、白く美しいギリシャ風の柱が並ぶ街並みの整備を決めました。当時、大倉山だけでなく、日本の商店街はどこも大規模スーパーの進出で苦戦を強いられていたため、ここ、エルム通り商店街でも、現状を打破しないことには死活問題だったのです。
一念発起し、言葉通り毎夜閉店後に会議を重ねました。当時、今のような歩道はなく、バスが通るたび不安にかられ、ゆっくり買い物もできない状況でした。車の心配をせず、ゆったりと買い物ができる安全な歩道を確保する上で、道路拡張はどうしても実現したい案。そのための土地を用意すること、無電柱化に賛成を募ること…。一筋縄では行かないことも多々ありましたが、地域のみなさんや関係者の方々に熱い思いを伝え、理解とサポートを得ながらの整備へと前進しました。
自分たちの街の危機は自分たちで守る!さらに街の人が喜んでくれることに力を尽くせば未来は明るい!との志を保てたのは、もしかしたら、それぞれ当時の店主たちが、皆、地方から出てきた人間であり、「この街で生きていく」と覚悟していたからなのかもしれません。